僕たちの班は、新美南吉さんの生家について、調べました。
左側が2番目のお母さん しんさんがやっていたげた屋さんです。
右がお父さんの多蔵(たぞう)さんがしていたたたみ屋さんです。
南吉さんを産んだお母さんの名前は「りえ」と言う名前です。
新美南吉さんが4歳の時、母のりえさんが亡くなりました。
6歳から、新しいお母さんしんさんに育てられました。
8歳の時に、岩滑新田の亡くなったお母さんの家に養子に出されました。
そして、半年後、名字は、新美のままでこの生家にもどりました。
この南吉さんの生家の特徴は外から見ると、一階建てに見えるけど、おかってが、地下一階にあります。
お勝手場にいくためには、とても急な階段を降りないといけません。
裏にまわると2階建てに見えるという変わった作りになっています。
この家の前の道は知多半島を常滑の方に行く道と亀崎の方に行く道が交わるところにあります。
家の横には道しるべも残っています。
南吉さんが小さいときはたくさんの人がここを行きかっていたそうです。
南吉さんはそのたくさんの人を見ながら育ったのでしょう。
この家は『狐』にでてくる文六ちゃんが祭で、下駄を買う場面に登場します。
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